。(歌が上手くなる方法は、副鼻腔を洗うこと。kiss.co.jp に公開)。
いい曲を作っても売れないのか、ショックでした。だけど自分には能力がないし、頑張るだけしかないよね。3曲目の発注です。ここで負けていられるわけがない。のたうち回って作るんだけど、まあいい曲かな。十分だよねと思いました、もう期待はしていません。その頃だったかな、自分もアレンジができればと、チラッと思ったのは。カッコいいのか、悪いのか、は分かる積りだったけど、だけど楽器は弾けないしどうしようもなかったな。え、っと思わなかった?楽器も弾けないのにプロって?いいえ、ポップスってクリエイティブさが勝負だから、いいんだよ。シングルに決まりました。
BEAM ボイトレ 27
。(歌が上手くなる方法は、副鼻腔を洗うこと。kiss.co.jp に公開)。
音楽プロデューサーの手腕にかかっていたなんて、当時は音楽制作について何も知らなかったな。音楽業界も会社組織なんだよね。僕が当時係わっていた人は、企画のプロデューサーだった。めしたの僕の前では、音楽を知っているかのように振る舞っていても普通でしょう?だけど音楽を作る上で、どう形にしていくのか見えていない人がトップだと、いろんな言い方をするから、発注される側の人間は大変な目に合うんだよね。どう大変なのかっていうと?言葉通りの音楽を作ろうとするからだよね。言葉通りの音楽は作れないよ。そうじゃなくて音楽を言葉通りのイメージへ仕上げていくことが正解なのかな?
BEAM ボイトレ 28
。(歌が上手くなる方法は、副鼻腔を洗うこと。kiss.co.jp に公開)。
その為にはプレイヤーに的確な注文ができる人、その場でメロディーも治せる人、歌詞も書き換えちゃう人が必要なんだよね。そんな人はいない時代か。そう言えばその頃から日本語で洋楽みたいな曲作りができないのか、研究が始まったんだ。実験みたいなことばかりして曲が作れなくなっていたな。1990年代はまだ邦楽の時代、もっとカッコいいAORみたいな曲が作りたかったけど、無理だったな。なんで作れなかったんだろう?人間は聞いたことがないものは作れないのかな?今でも不思議に思うよ。時代だったんだろうな。
BEAM ボイトレ 29
。(歌が上手くなる方法は、副鼻腔を洗うこと。kiss.co.jp に公開)。
日本語で洋楽メロディーに挑戦しはじめたら、曲が作れなくなった。ダメだ、ダメだ、カッコワルイ。その頃はもう実験ばかりしていたな。今までお世話になっていた制作チームも無くなった、連絡も途絶えた。だけどまだ実験に気を取られていたから悲しくもならなかったな。そしてある日、凄い曲を作り上げたんだ、自分だけでそう思っているんだろうけど、今でもそう思うよ。何故凄いかっていうと黄金のコード進行を壊せたからなんだ。そうすると変な曲になってしまうけど転調させることで成立させられる。音楽理論をぶっ壊せたんだ。だけどアレンジがダメで、表現しきれない。
BEAM ボイトレ 30
。(歌が上手くなる方法は、副鼻腔を洗うこと。kiss.co.jp に公開)。
だけど自身はついた。その時は〇歳だったから、遅いよね。松田聖子さんのディレクターにどんどん会いに行けっと言ってくれたプロデューサーさんに会いにいきました。あの時の気持ちは音楽を辞める覚悟だったな。よく連絡が取れたよ、今ではどう連絡を取ったのか思い出せない。あ、名刺を取っておいたからか。怖かったな。人生をかけた勝負だもの、アマチュアの僕がプロに会いにいくって想像してごらん。当時Sony Musicのビルは市ヶ谷にありました。入り口には警備員さんがいて連絡を取ってくれたんです。なぜかエレベーターが記憶ににのこっているんだよ。 メジャーのプロの方達が働いている場所だよ。